
「国民皆歯科健診」は全員を歯医者で診る制度ではない? 国が進める“攻めの予防医療”の中身
「歯医者に行きましょう」では人は動かない? もうすぐ始まる国民皆歯科健診に待ち受ける課題
歯科健診後の受診率をどう高めるか。
これは、国民皆歯科健診を考えるうえでも重要な問題です。
以前の記事では、「国民皆歯科健診」が目指しているものについて紹介しました。
そして、その次の記事では、もう一歩踏み込んでこんな疑問を取り上げました。
健診で「歯医者に行ってください」と言われたら、本当に人は歯医者へ行くのか?
2026年にベルギーから発表されたランダム化比較試験(RCT)では、
65歳以上で過去1年間に歯科健診を受けていなかった194人を対象に、
口腔チェックを行いました。
介入群には、その人に合わせた口腔健康情報を伝え、
歯科医師やかかりつけ医への紹介状を渡し、
近隣の歯科医院リストまで提供しました。
かなり丁寧な介入です。
ところが、4か月以内に歯科医療者へ連絡した人は、
ほとんど差はありませんでした。
つまり、
「あなたには歯科受診が必要です」と丁寧に伝えるだけでは、人はなかなか動かない
可能性があります。
では、どうすればいいのでしょうか。
2026年10月3日、その問いを考えるうえで興味深いRCTが
『BMC Oral Health』に発表されました。
今度の舞台は、中国・上海の小学校です。
こちらの研究では、介入群の歯科医療利用率が最終的に
90.2%
まで上昇しました。
ベルギーでは12%。
上海では90.2%。
もちろん、この2つの数字をそのまま比較することはできません。
それでも両者を並べると、
「正しい情報を伝えること」と「実際に行動できる仕組みをつくること」は違うのではないか
という問いが見えてきます。
- 上海の4つの小学校で576人を対象に、1年間のクラスターRCTが行われました。
- 通常の学校歯科健診に紹介・予約支援・フォローなどを加えた介入で、
歯科医療利用率は61.7%から90.2%へ上昇しました。 - 通常の学校歯科健診だった対照群では63.3%から59.8%でした。
- ただし、「90.2%が受診した」ことと「むし歯が大幅に予防された」ことは同じではありません。
- どの介入が効いたのかは、この研究だけでは切り分けられません。
- 国民皆歯科健診では、健診受診率だけでなく、
その後の受診・治療・継続管理・健康アウトカムまで見る必要があります。
576人の子どもを1年間追跡
研究が行われたのは、中国・上海市の4つの小学校です。
適格性を確認された610人のうち576人が研究に参加し、
12か月後には528人がcomplete-case解析に含まれました。
(文献1)
この研究では、子ども一人ひとりをランダムに分けるのではなく、
学校単位で介入群と対照群に分けました。
こうした研究デザインを「クラスターランダム化比較試験」といいます。
学校で行う健康教育や受診勧奨では、
同じ学校の子どもや教職員、保護者を通じて介入の影響が広がる可能性があります。
そこで学校全体を一つの単位として比較したわけです。
対照群でも通常の学校歯科健診が行われています。
つまり、「歯科健診をする vs 何もしない」を比べた研究ではありません。
比較したのは、
「受診してください」で終わらせなかった
介入群で行われたことは、単純な歯磨き指導ではありません。
- 学校で歯科健診を行う
- 必要な子どもを地域の医療機関へ紹介する
- 地域でフォローする
- 予約を支援する
- 本当に歯科医院を受診したか確認する
- 治療を受けたか確認する
- 結果を学校や家庭へフィードバックする
- 口腔保健教育を行う
- WeChatを使って家庭でのセルフケアも支援する

論文では、家族・学校・地域・病院をつなぐこの仕組みを、
family–school–community–hospital(FSCH)のclosed-loop型介入
としています。
(文献1)
→
紹介
→
予約
→
受診
→
治療の確認
→
フィードバック
ここが、前回紹介したベルギーの研究との大きな違いです。
ベルギーの研究でも、
単に「歯医者へ行きましょう」と言っただけではありません。
口腔チェックを行い、その人に合わせた情報を提供し、
紹介状を渡し、近隣の歯科医院リストまで用意しました。
それでも、人はほとんど動きませんでした。
今回の上海の研究では、さらにその先まで介入しています。
情報を渡すだけではなく、実際に受診するまでの経路そのものに介入した
わけです。
歯科健診後の受診率は61.7%から90.2%へ
結果を見てみましょう。
| グループ | 開始時 | 12か月後 | 変化 |
|---|---|---|---|
| 介入群 | 61.7% | 90.2% | +28.5ポイント |
| 対照群 | 63.3% | 59.8% | -3.5ポイント |
時間経過による変化には統計学的にも群間差が認められ、
group × time interactionは
OR 6.39(95%CI 3.55–11.52、P<0.001)
でした。
(文献1)
研究開始時には、どちらも約6割でした。
ところが1年後には、大きな差が生まれました。
「90.2%」だけを見ると、
「ものすごく効果的な歯科健診だった」
と思うかもしれません。
しかし、この論文で本当に見るべきなのは、その先です。
歯医者へ行けば、むし歯も減る?
歯科医療利用率は90%まで上がりました。
では、子どもたちのむし歯そのものも大きく減ったのでしょうか。
研究では、未処置のう蝕歯や、
治療されて充填された歯についても調べています。
介入群では対照群と比べ、
未処置のう蝕歯がより大きく減少し、充填歯がより大きく増加しました。
一方で、う蝕経験全体をまとめた指標については、
明確な群間差が確認されませんでした。
(文献1)
「新しいむし歯を大幅に予防した」というより、
すでに存在していたむし歯が実際の治療につながった
と考えるほうが今回の結果と整合的です。
この研究が強く示しているのは、
健診で問題を見つけた子どもを、実際の歯科受診・治療へつなげられた
ということなのです。
「受診率90%」は健康そのものではない
公衆衛生を考えるとき、この違いは重要です。

何人が健診を受けたか。
何人が「要受診」と判定されたか。
そのうち何人が実際に歯科医院へ行ったか。
これらは、医療の「プロセス」を見る指標です。
もちろん重要です。
しかし、本当に知りたいのはそのさらに先でしょう。
- 新しいむし歯は減ったのか
- 歯周病は減ったのか
- 歯を失う人は減ったのか
- 痛みは減ったのか
- 食事で困る人は減ったのか
- 生活の質は改善したのか
受診率=健康、ではありません。
受診は健康につながる重要な途中経過ですが、
それ自体が最終的な健康アウトカムではありません。
国民皆歯科健診についても、
「何人が健診を受けたか」だけで成功を判断してはいけない
ということになります。
健診は、あくまで入口です。
ベルギーでは12%、上海では90%。なぜ?
ここで、ベルギーの研究に戻ってみましょう。
対象となったのは、65歳以上で、
過去1年間に歯科健診を受けていなかった194人です。
口腔チェックをして、
その人に合わせた口腔健康情報を伝える。
紹介状を渡す。
近隣の歯科医院リストまで提供する。
それでも4か月以内に歯科医療者へ連絡した割合は、
介入群 12% / 対照群 14%
差はありませんでした。
(文献2)
さらに興味深いのは、受診しなかった理由です。
歯科医療者へ連絡しなかった133人のうち、
79%が「必要性を感じなかった」
と回答していました。
(文献2)
つまり、
「どこへ行けばいいかわからない」
だけが問題ではありません。
そもそも、
「自分はいま歯医者へ行く必要がある」
と感じていない人も多かったわけです。
一方、今回の上海では、
子ども本人だけでなく、
家庭、学校、地域、医療機関が受診までの流れに関わりました。
ただし、この2つの研究を直接比較することはできません。
- 国が違う
- 高齢者と子どもという対象者が違う
- 追跡期間が違う
- 子どもの場合は保護者が受診行動に関与する
- 医療制度や社会環境も異なる
したがって、
「ベルギー式は失敗、上海式は成功」
と結論づけることはできません。
それでも、2つのRCTを並べることで見えてくるものがあります。
人が動かないのは「説明不足」だから?
私たちは健康について、
「正しいことを教えれば、人は正しい行動をする」
と考えがちです。
むし歯があります。
歯周病があります。
放置するとよくありません。
歯医者へ行ったほうがいいですよ。
きちんと説明すれば、受診してくれるはずだ。
ところが、人間の行動はそれほど単純ではありません。

たとえば、歯科医院を受診するまでには、
必要性を理解する
↓
受診しようと決める
↓
どの医院へ行くか探す
↓
予約する
↓
仕事・学校・家族の予定を調整する
↓
実際に医院へ行く
↓
必要な治療を受ける
という、いくつもの段階があります。
健診で、
「あなたは歯科医院を受診してください」
と伝えることができるのは、主に最初の部分です。
しかし、その先にはまだ複数の行動が残っています。
- そもそも受診の必要性を感じない
- 予約するのが面倒
- どこへ行けばいいかわからない
- 仕事がある
- 子どもを連れて行く時間がない
- 痛くないから後回しにする
- そのうち通知そのものを忘れる
一つひとつは小さなことでも、
こうしたハードルが積み重なるほど、
受診までの距離は長くなります。
上海の研究が興味深いのは、
「もっと強く受診を勧める」だけではなく、
この距離そのものを短くしようとした
ことです。
人が動かないとき、足りないのは「説得」とは限りません。
「受診したほうがいい」と理解していても、
実際に行動するまでの道のりが長すぎるのかもしれません。
ただし、「何が効いたか」はまだわからない
ここには注意も必要です。
上海の研究では、
- 受診の紹介
- 地域でのフォロー
- 予約支援
- 受診・治療の確認
- 学校・家庭へのフィードバック
- 口腔保健教育
- WeChatを使った家庭での支援
など、複数の介入が一つのパッケージとして行われました。
したがって、
「予約支援が効いた」
「WeChatが効いた」
「学校の関与が効いた」
と、この研究だけから切り分けることはできません。
研究デザインにも限界がある
「RCT」と聞くと非常に強い研究のように感じますが、
今回ランダム化されたのは
4つの学校、2校対2校
です。
また、学校をランダム化したあとに参加者を募集しています。
さらに、臨床試験登録は事後登録で、
論文にも
「Retrospectively registered」
と明記されています。
(文献1)
したがって、
「この仕組みを導入すれば、どこでも受診率を90%にできる」
と考えるのは早計です。
この論文では「90.2%」という数字そのものより、
健診後の受診までを一つの経路として設計したところ、受診行動が大きく変わった
という点を見るべきでしょう。
国民皆歯科健診で、本当に見るべき数字は何か
これから日本で歯科健診の機会が増えていけば、
「今年は何万人が歯科健診を受けました」
という数字は当然注目されるでしょう。
しかし、本当に重要なのは、その次です。

たとえば、
- 健診で要受診となった人のうち、何%が実際に歯科医院へ行ったのか
- 必要な治療や予防につながったのか
- 一度受診したあとも、継続的な管理につながったのか
- 数年後、本当にむし歯や歯周病、歯の喪失が減ったのか
という数字まで追っていく必要があります。
健診受診率
↓
歯科受診完了率
↓
治療・予防への移行率
↓
継続管理率
↓
最終的な口腔健康アウトカム
健診制度をつくることと、
受診につながる制度をつくることは同じではありません。
健診で「要受診」の人を何万人見つけても、
その人たちが歯科医院へ行かなければ、
そこで経路は途切れます。
今回の上海RCTは、
日本の国民皆歯科健診そのものを検証した研究ではありません。
子どもを対象とした上海の研究結果を、
そのまま日本の成人や高齢者へ当てはめることもできません。
それでも、
「健診の次をどう設計するか」
という、日本がこれから直面する問題を考える材料にはなります。
今回の研究についてよくある質問
まとめ:「健診の次」をどうつくるか
健診で病気を見つける。
「歯医者へ行ってください」と伝える。
そこで終わるのではなく、
その人が本当に歯科医院へたどり着けたのか。
そして、
その結果、本当に口の健康はよくなったのか。
そこまで見て初めて、
健診の効果を評価できるのではないでしょうか。
国民皆歯科健診の成否を決めるのは、
健診そのものよりも、案外その
「健診の次」
なのかもしれません。
参考にした主な資料
- Zhang L, Hong W, Liu L, et al.
A family–school–community–hospital closed-loop intervention for childhood caries management: a cluster-randomized controlled trial.
BMC Oral Health.
Published October 3, 2026.
doi:10.1186/s12903-026-09991-z. - De Vleeschauwer A, Colman R, Pype P, Poppe L, Janssens B.
Can a Low-Threshold Check-Up Motivate Older Adults to Schedule a Dental Visit? A Randomized Controlled Trial.
Community Dentistry and Oral Epidemiology.
First published August 3, 2026.
doi:10.1111/cdoe.70105. - 歯ネット.
「国民皆歯科健診」は全員を歯医者で診る制度ではない? 国が進める“攻めの予防医療”の中身
- 歯ネット.
「歯医者に行きましょう」では人は動かない? もうすぐ始まる国民皆歯科健診に待ち受ける課題
本記事は一般的な健康情報および研究情報の提供を目的としています。
個々の口腔状態や治療の必要性については、
歯科医師・歯科医療機関にご相談ください。
また、国民皆歯科健診に関する具体的な制度や実施方法は、
今後変更される可能性があります。
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